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書棚の奥より取り出した
96年グローブ座『弥々』パンフレットより
(写真・稲越功一)
とんちゃんへの手紙 渡辺えり (女優・演出家)
とんちゃんお元気ですか?
『屋根の上のヴァイオリン弾き』観に行けなくてゴメンナサイ。久し振りにとんちゃんのステキな歌が聴きたかったのに残念でした。
私も劇団の公演が終わった翌日から仕事で仕事で大変だったんです。
でも、仕事がうまく行かなくて落ち込んだりすると、とんちゃんに電話して声が聴きたくなります。何があっても、良い方向に自分を奮い立たせようとするとんちゃんのパワーを尊敬してます。
『弥々』は紀伊国屋の初演と俳優座の再演の二回拝見してますが、幾通りものとんちゃんの魅力を味わえる私の大好きな作品です。
初演の稽古は、私達が日生劇場での『夏の夜の夢』に出演している最中でしたね。とんちゃんはうまく行かない所があるからちょっと見てほしいと言って、昼夜の本番の間に、劇場の地下の稽古場で二人っきりで稽古しました。
今考えると、あんなハードな芝居の本番中に良くやったものです。
私は友達の気易さから、「それじゃ、お客が寝ちゃうよ」とか、「親子で道楽やってると思われちゃうよ」とか、勝手な事を色々言ったものです。あの頃は、お互いにお互いの演技を率直に言い合って、笑ったり傷付いたり、本当に楽しかったですね。最近は、なかなか会えなくて、寂しいです。
初演の本番を見て驚きました。稽古場のとんちゃんとはまるで別人で、夜の海が、空の星が本当にあるようで、劇場だということを忘れ、涙が出ました。たった一人であれだけの宇宙を作れるとんちゃんがうらやましかったです。とんちゃんは本当にお芝居に恋してるんですね。
再演の時は、ストイックな部分が欠けてしまったようで、私は電話で文句を言いました。
「ワンマンショーじゃないんだから、作品の力を忘れないようにして欲しい。」そう言ったと思います。勿論、とんちゃんの破天荒で明るい自由な面もいっぱい出して欲しいけど、この作品の奥に潜む、暗く深い、シンシンとした人間の業のような部分。人間の性のあらがえない恐い力を体に包んで演じて欲しいと思っています。
私も人には良く言いますよね。自分じゃできないけどさ。
きっと、とんちゃんの事ですから、稽古に稽古を重ね、又新しく魅力的になった『弥々』を力いっぱい演じてくれると信じています。
この作品をライフワークにして、枯れた魅力の出る歳を超えても続けて行って欲しいと願っています。
それでは『弥々』楽しみにしています。
お父様、お母様によろしくお伝え下さい。
食べすぎや失恋に気をつけてガンバってね。
あ、ワンちゃんにもよろしく!今度、骨でも買って遊びに行きます。 えり子
もし人生を喜びと後悔の綴れ織りのようなものだと考えるなら、日本で仕事ができることは大きな喜びのうちに入るに違いありません。
私の人生において、日本での仕事仲間や友人たちは、公私にわたっていろいろと素晴らしい影響を与えてくれました。
私が特に毬谷友子に言及したとしても、反対する人はいないと思います。彼女は偉大な女優ーー私に言わせれば世界で最も偉大な女優の一人ーーであり、非常に特殊な人であります。偉大な演劇的才能と共に、このような美、知性、感性、寛大さ、ユーモア、そして謙虚さを併せ持っている人はめったに見つかるものではありません。
彼女はあらゆる障害を乗り越えて独自の宇宙を創造します。疑いようもなく彼女は、敬意を払い、喜びを持って扱われるべき宝物です。彼女の一人芝居のオープニングに参加できないのが残念ですが、きっと栄えある舞台になることでしょう。
いつの日か、観劇できることを願っています。
毬谷友子の幸運とこの先の成功をお祈りいたします。
ジェラルド・マーフィー
(RSC ロイヤル シェイクスピア カンパニー・演出家)
毬谷さん自らの演出による『弥々』を名古屋で観劇しまして、私、不覚にも泣いてしまいました。信じられない出来事であります。
北村想 (作家・演出家)
ある雑誌でロバート・デニーロが「人生最大の喜びは自分を驚かすこと」と、話していました。毬谷さんも、そういう人です。紀伊国屋ホールで観た時以上の感動を!楽しみにしています。
春風亭小朝 (噺家)
毎回あなたが女優として成長するのを見るのは大きな喜びです。有り余るほどの才能に溺れることのないよう、気をつけてください。
LOVE,ロベール・ルパージュXXX (演出家)
対談; 矢代静一 × 毬谷友子
~「一卵性親子から誕生した『弥々』」 より抜粋
(写真・立木義浩)
ーー戯曲を書かれる際には、最初から毬谷さんをイメージされていたんですか。
矢代; 始めに地人会の木村光一君が一人芝居を書かないかって言ってきた時、僕は「良寛異聞」て小説を書いてたの。その中の弥々って子がちょっとうまく書けてきたので、芝居にしようかななんて考えてたところだった。それで書いてるうちに、木村君が役者は毬谷友子でどうだろうって。自分の娘だから躊躇したけど、いや絶対に大丈夫だって言うんでね。そのうちに段々、毬谷友子のイメージが重なってきた。
毬谷; 父が、今、一人芝居を書いてるんだけど、友子にぴったりの役なんだって言ってるのを、母から聞いたんです。父の芝居は小さい時からよく見てたんですけど、必ずちょっと幼児性のある間抜けな明るい女の子が出てくるんですよ。でもどこか二面性を持ってる。私もいつまでも子供みたいなところがあるので、父の作品に出てくる不思議な女の子を、いつかリアリティを持って表現できるんじゃないかと思ってた。弥々も、そう言う女の子の代表的な人なの。
矢代; それと、弥々の原型は聖書に出てくるマグダラのマリアなの。非常に駄目な淫売で、みんなに殺されそうになった時に、イエスが黙って地面に字を書き、やがて言った。悪いことをしてないやつだけこいつを打て、と。人間はみんな悪いことなんてどこかでしてるものだから、みんな去って行くわけ。それでマグダラのマリアは改心する。これは世界的に有名な話だけど、「僕のマグダラのマリア」を書こうっていうのが基本的な動機なの。弥々は魔性だけだと思ってたら、聖性を持ってる。あんなに良寛が真面目に愛してくれたのに、女たらしの清吉についてっちゃうかと思えば、彼に尽くしちゃう。
毬谷; 弥々って言うのは、とっても正直で計算ができない人だと思うんですよね。自分が栄蔵と添い遂げて幸せになることよりも、オロシャに行くっていう母の夢を叶えてあげる方が大切なの。それで清吉と駆け落ちみたいにしちゃう。最後の最後だって、こんな乞食みたいな格好したのが現れたら死んだ良寛の名に傷がつくからって、何十日もかかって逢いに行ったのに簡単に帰ろうとしちゃうでしょ。自分を犠牲にして相手のために何かをやる時に、ケロって屈託なくやっちゃうから、誤解を受けやすいんだけど。でもこれは、女の一生だから、そう簡単にはまだ解っていなくて、15年後には全く違うことを思ってるかもしれない。
矢代; 杉村春子さんの『女の一生』でもね、年を経る毎に違う面白さがある。だからこの人も、最後に72歳で入水するとこぐらいのほんとの年になったら、きっと素晴らしいんじゃないかな。少女時代なんかは今みたいに溌剌とはできないけど、少女の気持ちっていうのは出ると思うんだよ。
それとね、中国とリトアニアの女優が前後して『弥々』を見て、どうしてもやりたいって言ってきたの。こういう女性は自分の国にもいるから、普遍的な女の一生としてよくわかると。
そう言われて僕は嬉しかったですね。それで現実にリトアニアで今年の4月にやったので見に行ったんだけど、日本的な風俗にはしないで、ワンピースなんか着るんだよ。それでかえって内面がすごく出てた。
矢代; 文学とか芸術とかっていうのは、一生懸命勉強したからって何とかなるもんではないんだよね。それで途中でやめちゃった人とか沢山いるでしょ。子供たちだけは普通の生活をさせたかった。宝塚に入りたいなんて言った時には猛反対しましたよ。
毬谷; 一生懸命やるほど下手になっちゃったり、自分より勉強してないって思う人にすごく魅力があったり、理不尽なことばかりの世界だから。
ーー普段の毬谷さんはどんな方ですか?
矢代; やっぱり幼児性(笑)。それと仕事になると、周りが見えなくなっちゃって、僕と似てる。両方仕事始めたりすると大変だから、一緒に住まないの。
毬谷; 間に入る母とかがもう大変で。
矢代; この子にはよく言うんだけど、日本語の「ちせい」には3つあるって。インテリジェンスの知、白痴の痴、幼稚園の稚と。僕は芸術家にとって一番大事なのは幼稚園の「稚」だと思うけど、それをこの子は持ってると思うし、僕もこの年になってもそれだけは持ってようと思ってる。だからぶつかっちゃうんだけどね。
毬谷 同等になって喧嘩するから、ほんとに大変なの。(笑) (構成・文= 川島晶)